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運命

 

Y: あなたは運命を信じますか?

M: 都合のいい時だけね。

Y: 運命っていうのは平たく言うと、将来は決まっているということだよね。

M: 「運命よ、そこをどけ。俺が通る」とか、かっこいい名言があるじゃない。

Y: そういうのは、ここでは運命とは言わないことにします。運命とは絶対的なレールであり、そのレールに従って毎日を過ごすのが人生とします。レールは1本です。

M: 毎日を過ごすと、幾度も選択肢があるような気もするんだけど。

Y: 例えば、あなたは今の記憶を全く持たないで過去に戻れたとします。どうなると思います?

M: あー、全く同じことを繰り返すと思う。

Y: たぶん何度繰り返しても、寸分違わず同じことをすると思うんですよ。

M: そこは、意見が分かれるところじゃないの?

Y: 「神はサイコロを振らない」という言葉があります。

M: アインシュタインだっけ。

Y: 物質に決まったインプットを与えると、決まったアウトプットが出てきて、そこに確率は介在しないという考え方。

M: さっそく難しいんだけど。

Y: 全く同じ力でダーツを投げられる機械があったとして、その時の空気抵抗とかも全く同じであれば、何回投げても毎回同じところにダーツは刺さるよね?

M: まあ、そうなるよね。

Y: 人間も複雑な機械と同じだということです。

M: どういうこと?

Y: 例えば、あなたは昨日夜食にラーメンを食べたよね。

M: 何で知ってるのよ。

Y: 深夜は食べ物の画像アップを禁止する機能とか作るべき。

M: おすそわけだよ。

Y: で、このラーメンに至るにあたって、いろんな動機があったわけです。太るけどどうしようとかいう葛藤もあったわけだ。

M: いちいちうるさいよ。

Y: 昨日の夜を何度繰り返しても、同じ動機が発生し、同じ葛藤が発生し、ラーメンを食べるわけですよ。

M: なんか、悩んでいるようで悩んでないみたいじゃない。

Y: 一見、自分で選んだような選択なのですが、実はインプットに基づき機械的に処理されているわけです。

M: 人間がロボットみたいになってるんだけど。

Y: ロボットと人間の違いってなんでしょうか。

M: そりゃあ、感情の有無なんじゃないの?

Y: 物理学的には、感情というインプットは認めていないです。

M: いや、でも、人間の行動の動機って感情でしょ?

Y: まあ、そんなことはどうでもいいのですよ。物理学が認めていないとしても、とにかく何らかのインプット(それは感情かもしれない)があって、決まったアウトプットが出る。そこに確率はないということです。

M: 感情が変わるかもしれないじゃない。

Y: 感情も何かのアウトプットですから、何らかのインプットから発生している。つまり世界は壮大な歯車であり、変更の余地がない。これが運命であり、運命の歯車です。

M: そういう運命の捉え方は、なんだか寂しいね。

Y: もうこれから起こることは決まっているわけだから、我々がこれから見たり聞いたりすることは、映画館で映画を見るのと何も変わらない。ストーリーが決まっているものが垂れ流されていて、それに対して喜んだり悲しんだりしているわけですよ。

M: だったら何かに悩んだりする必要もないじゃない。

Y: 悩むか悩まないかも運命。悩んだのであれば悩まないという選択肢はなかったわけです。

M: 運命の女神とかどうすんのよ。

Y: 見守るだけですね。

M: 私の運命はドモホルンリンクルなの?

Y: 運命は決まっていると言うと、もう全てが決まっているんだから努力しても無駄だという意見が出てくる。

M: あんたは常々努力は無駄とか言ってなかったっけ。

Y: 努力することは才能の一つであり、才能は運の領分だとは言ったけど、努力が無駄とは言ってないよ。

M: じゃあ運命が決まっていても、努力は無駄じゃないの?

Y: 運命においては無駄なものなど何もない。全てが歯車。

M: あんたは努力する量すら運命だと言いたいの?

Y: その通り。「今でしょ!」と言われて頑張ってみたりすることも、次の日には、もう今じゃなくなったと思うことも、全てが決まっていること。

M: 決まっているから努力しないとかいう選択肢すらないのね。

Y: 映画の主人公が頑張っているのをやめさせることもできないし、その逆もまたできない。決まったレールを走り続けるのが人生です。

M: あんたの人生はB級映画以下っぽいけど、それでいいの?

Y: いいも悪いもないです。面白くなることに期待して最後まで見るしかない。

M: 自分で面白くすればいいじゃない。

Y: 自分の人生の映画監督にはなれない。一見、自分の将来は自分で選択しているように見えるけど、その選択は決められている。

M: 私は私の意志でラーメンを食べたよ。

Y: ラーメンを食べることは決められていた。

M: 何このジョジョのラスボスのスタンドみたいな攻撃は。

Y: 自分の意志なんて実はないのかもね。

M: 意志がないってどういうことよ。

Y: さっき言ったように、人間だってインプットに基づいて機械的に処理してるんですよ。努力の量も含めて。

M: 人間の意志を否定するとか、何世紀前の考え方よ。

Y: 自由意志の否定は、現代でも根強い人気があるのですよ。

M: いや、ないでしょ。

Y: 人間に意志がないことが証明できてしまうと、世の中は大変なことになる。

M: どうして?

Y: 例えば、僕が犯罪をしたとする。

M: 自首しなさいよ。

Y: ところが、その犯罪は、僕の意志で行なわれたことではないわけだ。つまり僕に責任はない。

M: 過去の行動については誰の責任でもなくなるということ?

Y: そう。だって決められていたことをしただけだもの。責任がないことに対して裁きを受けるいわれはない。

M: 自由意志の否定をする人は、自分で責任を負いたくなく、失敗を環境のせいにして学ぶこともなく、全てを運命とし、向上心も持たず、成長もしない人だということは分かったよ。

Y: そんなこと言ったら、古典哲学者の皆さんが泣いちゃうよ。

M: 哲学者なんて総じてキモいからいいのよ。

Y: あなたはもう少し物事を考えた方がいいと思うよ。

M: 自由意志を否定する人がいるってことは、自由意志を肯定する人というのももちろんいるんだよね?

Y: さっき、神はサイコロを振らないって言ったけど、神はサイコロを振っちゃうって考え方もある。

M: それを先に言いなさいよ。

Y: 20世紀に入って量子力学という物理学がしゃしゃり出てきた。

M: あー、なんか学校で軽く習ってチンプンカンプンになるやつだよね。

Y: もう、この場で説明するのは無理な学問。

M: あんた、知らないだけだよね。

Y: ざっくり言ってしまうと、原子レベルのミクロな世界では、今までの物理学が適用できないケースが出てきたんで、そのへんを詳しくしていきましょうという学問。

M: たぶん、ざっくりすぎるんだよね。

Y: で、その量子力学を追求していくと、同じ条件でダーツではなく原子を投げたら、決まった結果にならないということが分かる。

M: それって、同じ条件じゃなかったんじゃないの?

Y: アインシュタインもそう言ったんですよ。現在の科学力では未知な条件があるだけだって。でも今の物理学ではアインシュタイン推しな人は少ないそうです。

M: 湯川先生はどっちなんだろ?

Y: 「現象には必ず理由がある」 なんとなくアインシュタインっぽい言い方だけど、「この理由から必ずこの現象が起きる」とは言ってないんだよね。よく考えるとすごく当たり前のことを言ってるだけだよ。

M: かっこいいから何でもいいよ。

Y: この量子力学の登場により、自由意志の否定は死んだのかというと、そうではないのですよ。

M: どうして?

Y: 仮に、何度も過去に戻って同じ事を繰り返すと、量子力学により異なることが起きる可能性があるとします。

M: まあ、過去に戻ること自体がないんだけどね。

Y: 量子力学ってミクロな世界の話だから、人間の行動にそれほど大きな影響を与えるとは思えないんですよ。夏休みを15,532回繰り返しても、盆踊りに行かなかったパターンとか、金魚すくいをしなかったパターンとか、アルバイトしたパターンとかが出てくるだけですよ。

M: ミクロな世界の力が、行動に大きな影響を与えるかもしれないじゃない。

Y: 影響を与えたとしても、今度は本当に、そこに自分自身の意志があるのかという疑問が出てくる。

M: どういうこと?

Y: 右手か左手、どちらかを出してください。

M: はい。

Y: どうして右手を選んだのでしょうか?

M: なんとなく?

Y: なんとなくなのに選択をしている。これが自分の意志と言えるのでしょうか?

M: たぶん右利きだからだよ。

Y: それだと、こんどは理由に基づいて行動していることになる。機械的な処理と変わらない。意志がなくても右手を出すことになる。

M: そんなんだったら、自分の意志が存在することなんて証明できないじゃない。

Y: だから、自分の意志が存在しないことも、正しいかもしれないわけですよ。選んだ理由があればそれは機械的な処理かもしれないし、選んだ理由がわからなければ、それはその人の意志なんかではない。

M: 屁理屈にしか聞こえないんだけど。

Y: もっとも、人間誰しも、自分の意志で未来を決めているって思いたいし、そう思うのが自然だよね。

M: だったら、運命がどうのこうのなんて最初から言わないでよ。

Y: 最初に自分で言ってたじゃない。都合のいい時だけ運命を信じるって。

M: 言ったけど。

Y: 運命は何も未来のことだけを指すものではないよ。過去の出来事は運命であったと思えば、あの時ああしたら、あの時ああすれば、とかの「たられば」で悩むことはなくなる。運命に「たられば」はないのだから後悔することがない。

M: 人の成長は未熟な過去に打ち勝つことだよ。

Y: いつも成長する必要はないのです。成長期終わってるんだし。世間も他人もあまりに自分に厳しい。せめてたまには自分に優しくしたいじゃないですか。そんな時に運命に逃げ込んじゃえばいいのですよ。

M: 発想が負け犬なのよ。

Y: 逆に良いことがあった時なんかは、運命なんか感じずに、自分の力で勝ち取ったものだと思えばいいのです。運命の人なんかいないのですよ。

M: ああ、じゃあ、あんたは運命の人だわ。出会ったのが不可抗力だわ。私にはどうすることもできなかったわ。

Y: 運命の人と言われて、こんなに悲しい気分になるとは思わなかったよ。

M: 運命よ、そこをどけ。私が通る。

Y: 人をレールに置かれた石みたいに言わないで。

M: おやすみ。

Y: おやすみ。

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